心を落ち着かせる瞑想法のひとつに、「慈悲の瞑想」というものがあります。この仏教における瞑想法はまず自分の幸せを願います。
そして、自分の心が落ち着いて幸福感が生まれてきたら、次に自分自身の修行として、自分の親しい人々、さらに動植物など全ての生きとし生けるもの、ありとあらゆる「他者」に向けて幸福を願っていきます。
スリランカ初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老の著作である『現代人の瞑想法』から、慈悲の瞑想の方法を以下に抜粋しておきます。ぜひ心に悩みや苦しみが生じたとき実践してみてください。
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとがかなえられますように
私に悟りの光があらわれますように
私は幸せでありますように(3回繰り返し)
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとがかなえられますように
私の親しい人々にも悟りの光があらわれますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回繰り返し)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとがかなえられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回繰り返し)
「慈悲の瞑想」では、本気になって、まず自分が幸福でありますようにと念じます。それから、自分の親しい人々のことも自分と同じように思い、私だけが幸福なのではなくて、私のまわりの人々も、やっぱり幸福でありますようにと念じます。そのような心で生まれてくるエネルギーをどんどん増やしてみます。それでさらに、人々が幸福になりますように、生命が幸福になりますように、さらには生きとし生けるものが幸福でありますようにと、念じていきます。
そう念じていくと、自分たちに、念じた人の〝生きとし生けるもの〟という概念に応じた幸福感が生まれてきます。
〝生きとし生けるもの〟といっても、あまりにも大雑把で膨大なものを示す言葉ですから、なにかわかりませんね。でも、個人個人の心のなかで、たとえ意識しなくても〝生きとし生けるもの〟というイメージがあります。そのイメージのレベルに応じた幸福感が生まれてきます。(p116~117)
どのような幸福感が生まれるかは、実践する方しだいです。ただ念じるだけです。心に正直に、正直になって、念じていると、はっきりとした結果が出てきます。我々は、世界を心によってつくっています。だから、心が汚くなったら世界も汚くなるし、自分の身体も汚れて、病気になってしまうし、まわりの人々も汚れてしまいます。(p117~118)
「慈悲の瞑想」のオプションとして、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々の幸せを願う瞑想があります。
初めての人は、私の嫌いな人々や、私を嫌っている人々の幸せを願うのは、難しいと感じるかもしれません。
しかし、嫌いな人たちというのは、あなたと近い関係の人ではないでしょうか。あなたと近い関係ではない人たちは、好きでも嫌いでも、どちらでもないはずです。ですから、よい関係がこれじているだけなのです。
そして、「嫌いな人」「私を嫌っている人」と相手をみることは、その人を差別していることになります。実は、嫌いな命があると、最終的に自分の命が危ないのです。ですから、自分自身の心の成長を試すつもりで、この瞑想を唱えてみてください。(p150~151)
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとがかなえられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光があらわれますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとがかなえられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光があらわれますように
(アルボムッレ・スマナサーラ『現代人のための瞑想法』より抜粋)
以下の動画を参考にしてぜひ慈悲の瞑想を試してみてください。
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