幸福は今・ここにある

ここでは、心の免疫力を高めるために、幸福は「今・ここ」にある、ということについて述べています。

幸福は「今・ここ」にある

幸せになるために大切なのは、どこか遠くに幸福を探しに出かけたり、ふいに幸運が訪れることを期待したりすることでもなく、生きていること自体がすでに「幸福」である、と気づくことだといえます。

 

幸福とは何か、という問いは、これまで多くの哲学者を触発してきましたが、アドラー心理学研究の第一人者であり、ベストセラー『嫌われる勇気』などの著者としても知られている岸見一郎氏の『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』においては、「幸福」とは「なる」ものではなく、人は「何かの実現を待たなくても、成功しなくても、すでに幸福で<ある>」ということが示されています。

 

 幸福は幸運とは違うということ、人は何かの出来事によって幸福になるのでも、不幸になるのでもないということ。すでに人は今ここで幸福である。このことは、ちょうど人の価値が生産性にではなく、生きていることにあり、今のままの自分以外の何者かにならなくてもいいことに呼応している。

 

(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p217)

 

 

 幸福になる、あるいは、なれるというのは、目下、幸福ではないということである。成功や名誉、富などは幸福の条件ではなく、幸福であるためには必要ではない。それがあっても困るわけではないが、何かの実現を待たなくても、成功しなくても、すでに幸福で<ある>のであり、何かが人を幸福にするのではない。反対に、何かの出来事が人を不幸にするのではない。不幸の条件もないのである。

 

(同 p224)

岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』
岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 講談社現代新書

したがって、大事なのは、どこか遠くに幸福を探しに出かけたり、ふいに幸運が訪れることを期待したりすることでもなく、生きていること自体がすでに「幸福」である、と気づくことだと思われます。

 

すなわち、幸福な生き方とは、過去や未来に思いを巡らすことではなく、瞬間(いま)を生きることなのです。

 

 

幸福を感じるには、他人の評価を気にせず、自分らしく生きることも必要

 

しかしそのためには、SNSの「いいね!」の数など、他人の評価を気にせず、自分らしく生きることも必要になってくるのです。

 

つまり、他人に自分はどう思われているかといったようなことが気になっている限り、今ここにいるありのまま自分の(お金とは関係ない)価値に気づくことが出来ないため、幸福な生き方を実現するのは難しいように思われるのです。

 

特に現代社会においては、SNSの発達によって、誰もが気軽に情報発信を出来るようになりました。しかし発信した情報に対して、その情報の内容を評価されることを期待したりしてしまうと、今ここにある幸福は遠ざかっていってしまうように思います。

 

 

このことに関して、岸見一郎氏は、

 

 どう思われるかを気にしていると、行動の自由を制限される。自分が何をしたいということよりも、人に認められることの方が重要なので、何かをするか、しないかを自分では決められなくなる。他者が自分の行動の決定権を持つことになるのである。

 

(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p156)

 

と述べていますが、必要以上に他人の評価や視線を気にしてしまうと、途端に本来自分がやりたかったことが出来なくなってしまうのです(しかも、自分のやりたいこと(want to)に没頭する時間も減ってしまいます)。

自分の行動を他者の評価に依存している限りは、今ここにいるありのまま自分の価値に気づくことが出来ない

今ここにいる自分には、本質的な価値がある

また、自分の行動を他者の評価に依存している限りは、今ここにいるありのまま自分の価値に気づくことが出来ないのです。このことについて岸見氏は『幸福の哲学』のなかで、

「すでに人は今ここで幸福である。このことは、ちょうど人の価値が生産性にではなく、生きていることにあり、今のままの自分以外の何者かにならなくてもいいことに呼応している。」

 

と、述べていますが、無理に他人からの評価を求めたり、強迫的に社会での成功を目指したりしなくても、今ここにいる自分には、他人による評価やお金とは関係ない、本質的な価値があるのです。

 

 人が自分に対して行う評価と自分の本質にはまったく関係がない。多くの人が共通した評価を自分に下すというようなことがあった場合には、その評価をまったく無視していいというわけではないが、そういうことでなければ、他者の自分についての評価に一喜一憂する必要はない。

 

 他者の評価によって自分の本質が決まるわけではなく、自分の価値が上下するわけでもない。だから「いやな人ね」といわれても落ち込むことはないし、「いい人ね」といわれたからといって舞い上がるのもおかしい。それらはある人の評価でしかなく、その評価によって自分の価値が決まるわけではないからだ。

 

(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p157~158)

 

そのため、幸福に生きるための第一歩は、SNSの「いいね!」とか、他人からの評価を気にしてばかりいるのをやめ、今ここに生きている自分の価値をただ認めることから始まるのです。

 

 

もちろん、実際のところ、そうはいってもやはり他人の視線や評価が気になってしまうという方は多くいらっしゃると思います。

 

その場合は、たとえば1分間でも良いので、マインドフルネス瞑想などを行い、「今・ここ」にいる自分と、すでにここにある「幸福」に気づいてみてください。

 

 

 人からよく思われなくても、また、低い評価しかされなくても、そのことは自分の本質には関係がない。自分の課題は価値ある自分になるように努めることだけである。他者の評価を気にしたり、他者の期待に添おうとすることでは、ない。

 

 他者からどう思われるかを気にしている限り、自分を評価する他者に依存することをやめられない。他者からの評価を待たず、自分で自分の価値を認められること、決められることこそ自立である。

 

(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p143~144)

 

 

 嫌われることも含めて、他者の評価を恐れず、他者の評価から自由にならなければならない。誰も嫌われたくはないが、もしまわりに自分を嫌う人がいるとすれば、嫌われることは自分が自由に生きていることの証であり、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えなければならない。

 

(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p157)

幸福の哲学

「明日も幸福が持続するかどうかはわからない。どうなるかはわからないとしても、今ここで感じている幸福には意味があるのだ。」

 

(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』講談社現代新書)